danceintent’s blog

定年後 元気なうちに海外生活

イエズス会の修道院だった家

モニュメント近くにスペイン時代の屋敷が現存していると文化遺産HPで知った 
周囲が高い壁で囲まれて 屋根だけが見えるらしい
屋敷のオーナーはセブ最大の金物店 Ho Tong HardwareのSyファミリー
 
見学できないものかと コロンモニュメント近くコロン通りにある店に行ってみた
店に入ると長いカウンターが奥まで続き 女性が数人それぞれ客に応対していた
一番奥まで進んで行き 座っていた年輩女性に訊ねると
奥から 社長が出て来てくれ 屋敷のことをどうして知ったかとまず聞かれた
セブの古い写真を収集するのを趣味にしていることなどを話すと
店の近くだからと ソリヤータ(Zulueta)通りの屋敷まで案内してくれた
帰りに店に寄りなさい 関係資料があるからと親切に言ってくれる
 
 
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1960年に父親である先代社長が 倉庫用地として屋敷付きで購入
土地全体を高い壁とトタン屋根で囲い 倉庫として現在も使用している
 
 
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倉庫裏にある 細いビナカヤン(Binakayan)通り 
コーラルストーンの壁の上に高い壁が足されている 画面右手が倉庫
 
 
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足の踏み場もないほど雑然とした倉庫の奥に 突然現われた博物館の入口
 
 
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ビナカヤン通りにある当時の入口 イエズス会のマークが石に彫られている
 
 
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屋敷の入口にも イエズス修道会を示す浮彫り
 
 
 
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正面全体を描いたもの 現存するコーラルストーンによる2階建て住居は珍しい
 
地震で崩壊するとの理由で スペイン統治政府により
コーラルストーンは1階部分だけ 2階は木造と規制された
住居の海側に隣接してコーラスストーン3階建てのタワーも建っていたが
崩壊して残っていない
 
 
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 入口はいるとすぐに急な階段
 
 
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階段吹き抜け 控えの間
 
 
 
 
 
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1768年のイエズス会追放後 複数の所有者により内装が施された 大広間
 
コーラルストーン2階建の造りにもかかわらず地震にも 戦火にも耐えた
戦時中日本軍はオーナーがスペイン人だと思い込み 紳士的に借用
戦後は米軍が極東司令本部として使用
1950年代にはオスメニア知事が借り受けて 私的政治クラブとして使用した
 
 
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先代社長時代の晩餐会後のひと時
 
 
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大広間は隣の棟と木造の橋で連結されている
 
 
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連結橋入口の壁 1730年 と木製の浮彫りが埋め込まれている
建造物の築年数を決める年代学というものが確立していないのと
当時の資料が残っていないことで 学術的には証明されていないが
もし後年証明されれば 現存するフィリピン最古の家屋となる
 
 
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大広間の隣の間は内装がなく 天井 はり 柱がむき出し
 
セブ以南をテリトリーに 布教活動を行ったイエズス会の宣教師
布教中疫病に罹れば戻されて治療を受ける活動拠点でもある
質実で活動的な彼らを象徴するような簡素な造り
地元パーリアン(中華系フィリピン人居留区)の職人達の手で建設された
 
 
 
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屋根瓦もむき出し
はりには中国風の雲が描かれていた
 
 
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屋根 壁 手細工された横木 が描かれた細密画
重い屋根瓦を支えて 284年間 崩れない理由の一端が描かれている
 
 
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上は浮彫りの窓ガラス 下はラピス貝の窓
 
 
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2棟を繋いでいる木造連結橋
 
 
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連結橋から見る 家屋のひさしが異様に深い
これも この建物が崩れない理由のひとつ
 
 
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別棟のリビング
 
 
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広いダイニング 隣に炊事場
 
 
最初に案内してくれた シー社長
The Jesuit House of 1730 として6年前一般公開に踏み切った
今年初め建物の基礎部分を掘り起こし 土台部分の強化工事を終えている
倉庫入口をはいった右側に受付 入館料 50ペソ