軍野営地となった 1898年の独立広場(Plaza Independencia) 正面に知事公邸
1898年はスペイン軍を降伏させた米国がフィリピンの領有権を取得した年
軍隊の実力行使が全国で展開され セブでも風雲急を告げる時代背景
日本では 日清戦争後の3国干渉によって 日露の緊張が高まっていた頃
1898年 港に陸揚げされた 米軍用補給物資
日米開戦の半世紀も前から兵站補給の物量作戦をしていた
独立広場 撮影ポイントは同じでも 樹木が生い茂り 建物も様変わり
いまはアベックとホームレス憩いの溜り場
広場海際にある旧税関から 右がセブ大聖堂 左がサントニーニョ教会
前写真の正面建物が 左端の建物 屋根の明り取りの小窓が特徴的
広場前のマルティレス(Martires)通り ( 現.在Osmena Blvd )を 進むと
雨樋・窓の飾り屋根が外され 無機質な統治政府の知事公邸に変身
当時の建物の面影は一切残っていない
笠を被り囚人のような服を着せられた清掃人 公邸入口にインディアン型バイク
時代は経過して 1930年代の 広場前のマルティレス通り
知事公邸前の通りは 未だ未舗装のまま
米軍撤退時 米軍機の爆撃で破壊された主要建物群
背後にセブ大聖堂とサントニーニョ教会の鐘楼がポツンポツンと残された