danceintent’s blog

定年後 元気なうちに海外生活

セブのビバリーヒルズ

500年前 セブの地から始まったスペインのフィリピン統治
スペイン統治によりフィリピンは世界の表舞台に登場することになる
 
スペイン統治以前よりセブには福建省華僑が商人として社会を形成していた
スペイン人が造ったセブ中心地(スペイン人移住区)から見て北のはずれ
海と運河で繋がったコロン通りとその周辺 
現在のバランガイ パーリアン に中華街を形成していた
 
パーリアン( Parian )とはメキシコの言葉で市場のある場所のこと
メキシコを統治していたスペイン人がセブに入ってきた背景がある 
当時セブに住む華僑は パーリアンと呼ばれていた所以でもある
スペイン統治時代よりスペイン人とフィリピン原住民の間に入り実質的に
経済を握っていたのがパーリアン 
スペイン統治が始まるとパーリアンは教会建設 パーリアン牧師の任命等
キリスト教と学校教育に力を注ぎ スペイン統治に順応して来た
 
セブに私立の中華系学校が多いのは そんな長い歴史があるから
新聞の写真に登場する 政治経済文化人はみんな中華顔
今でも中華系フィリピン人社会では 中華系同士としか結婚しない
 
セブの歴史と共に歩んできた中華系住民が戦後作り上げたサブディビジョン 
最初この名を聞いた時は ロスアンジェルスのまねかと笑っちゃったけど
セブに住み着いて4年 今回初めてビバリーヒルズを訪問することになった
 
 
アベリアーナの50mプールに夜泳ぎに行ったおり
ダンススタジオの事務室脇を通ると ジャネット事務チーフが手招きする
ママレンと呼ばれるスタジオオーナーのハイコ婦人の誕生日会に招待された
 
行ったことがない場所 招待状に書かれた簡易地図だけでは見当もつかない
ハイコ邸はビバリーヒルズでも有名なので 道で聞けば大丈夫ですと
そう言われても ビバリーヒルズへの道順さえわからない
市内地図北端に位置するはずのビバリーヒルズは地図上からカットされてる 
グーグルマップの航空地図でも開発前の古い写真のままになっている
 
ガード門を通り抜けると 右側に高さ10メートルはあろうかという石垣で囲まれた
邸宅が暗闇に浮かんだ サンペドロ要塞よりでかい  さしずめ大名屋敷町
ずーっと長い登り坂が続く 通りには人っ子ひとりいない 
 
うす暗い大名屋敷町を通り抜けた一番奥に ポツンとハイコ邸 
車百台は入りそうな駐車場の向こうにセブの夜景が広がっていた
ここなら ジプニーのクラクションの音も 夜中のカラオケ騒音も
ごみ焼却場の巨大煙突から吐き出される 臭い煙も届かない
 
入り口受付 パーティのドレスコード カウボーイ カウガール 
 
イメージ 1
スタジオ事務局で働いている時とは違って 今夜は別人のよう
 
 
 
 
イメージ 2
ジミーDI とママレン 国内コンペティション常勝ペア
 
会場の床は分厚い板張り 奥の住宅内には別にダンスホールがある
 
メインイベント セブダンススポーツチームによる バクラコンペティション 
 
 
イメージ 3
ジャンポールDI と はて・・・誰だったろ なりきっているのでわからない
 
優勝ペアには旅行招待券  行先 カルボンマーケット!