戦前の日本人街の痕跡を探しにサンペドロ街に行って見た。
サンペドロ通りとは一応?がっている、海までの1本道。
片側に、客待ちの人力トライシクルが、ずーと列を作っていた。
海岸際までの200mは木造のバラックがひしめいている。名前が付いた建物が地図上には無い。地図のとおりかどうか、いちおう歩いて確認した。
市庁舎のあるリサール公園から、レガスピ通りまでの、サンペドロ街の両側は、戦前はほとんど日本人商店が軒を連ねていた。
「この辺りで、古い日本のビルディングをご存じないですか?」、
だれも、何も 「 知らない 」
市庁舎に行き、インフォメーション室のドアを開けて、戦前の日本人街のことを尋ねた。
だれも、何も 「 知らない 」
近くのダバオ博物館に行くことを勧められた。
そこで、戦後に日本人が当時を思い出して書いた手書きの地図と対面した。
サンペドロ街の中心に 大阪貿易(OB)バザー 柏原ホテル が記載されていた
敗戦で日本に関すること、ことごとく廃棄されたに違いない。
頑丈に造られた商店街だけは、そのまま今も使われている。
サンペドロ通りの入り口、チョウキンの場所は、「大阪バザー」 と言う名のマーケットがあった。
その左隣には、「柏原ホテル」 が建っていた。
「柏原ホテル」 前のアーケードで、とうもろこしを買い、向かいのリサール公園で食べた。
蒸さずに直火で焼いてあるので、歯応えがある。塩とか醤油とかの味は、付いていない。
地図にある レガスピ通りとマガリヤネス通り交差点近くの 「大阪貿易宿舎」 と
「大阪味噌工場」 があった場所