ダリアオンに行って見た
ダバオ 南西15Kmのトリル市内 海に向かった一帯が ダリアオン
昭和12年当時の 日本人小学校 生徒数 ( 上位8校 )
ミンタル 325名
ダバオ 242名
カリナン 191名
ダリアオン 158名
マナンブラン 126名
トンカラン 82名
バヤバス 74名
ディゴス 55名
グーグル衛星写真 海岸近くに 古川拓殖株式会社のマニラ麻工場跡地が見える
写真では コンクリートの床跡しか 見えないが
実際に足を運ぶと 床跡に隣接した
緑の林に覆われた
巨大な倉庫の壁が4方向 そのまま建っていた
高さ 幅 3m四方の 立方体のコンクリート枡が 6個×3列の18個
貯水槽かなにかだろうか 出来たてのように すべすべの表面
槽に上がって 恐る恐る中を覗くと 中心に穴が開いている
床の真ん中に位置する コンクリート建造物 窓枠隅の一部が破壊されている
2層に打設されたコンクリート内部が見える
無数の弾の跡は 海ではなく山側に向いているので グラマン機が山側から向かって来たことになる
撮影していると 制服姿のガードマンらしき人が彼方からこちらに歩いて来る
現在この跡地は個人会社のものとなっている 言われる前に 早々に退散した
工場跡から海岸に沿って 港に向かって進んでいくと 日本家屋らしき家を発見
前方に 手を振ってこちらにおいでと合図する 集団あり
行って見ると この乗り
この家は 痛んだままの状態で建っている
日本家屋を探して ブラブラ歩いている 私の前方に
鋭い視線を向けたまま 立っている人物がいる
相手の視線を外さずに 接近する
「 失礼します 私は日本人です 古い日本の家を探しています 」
怖い顔が 途端に 笑顔に変わった
「 まあ 私の家に入って 休んでいきなさい 」
フィリピンスタイルの家へ招き入れてくれた
大型連休中の 会社ガードマンと 奥方
父さん 小学生の娘に コーラとクラッカーを買ってくるよう 20ペソ紙幣を持たせた
買えなかったと 娘が戻る 10ペソコインを追加で持たせ 再び店に向かった
800ccのロイヤルコーラとクラッカー2袋を買って来てくれた
先年亡くなった彼の叔父が 日系2世だった
存命であったならば 昔の話を聞かせてあげられたと残念がる
家の写真撮るならと 同行してくれることになった
古い家は 改装されて 判らなくなってきていると言う
ダリアオンを一通り廻ってから別れた
トライシクルでバスの走る大通りを越えて バヤバス地区 に向かった
バヤバスの格子状ふすま窓の家
ガラス窓の上部にもガラスが嵌めてある
1階は商店 2階がアパート風の大きな家
バス通りにある チョウキンでゆっくり昼食 帰るには未だ早い
体力も回復したので 再度ダリアオンに向かった
道路の奥 お寺のような建物 右端 石の階段跡が独特な本願寺様式だが
1937年 2階建に改築された 古川拓殖 株式会社 のクラブ・ハウスだった
当時、2階は、独身社員寮
1階は、玉突き台、柔道場、で社員の冠婚葬祭にも使用された
テニスコート2面のうち1面は照明をつけて夜間も利用できるようになっていた
現在、建物の中を覗くと ジプニーが 1台 入っていた